「ドア」を開けるころ。
あっという間に紫陽花が咲く季節になった。
近所のお宅の手入れの行き届いた庭で次から次へと咲く紫陽花をよく貰う。
我が家でも母が育てたヤマアジサイが毎年可憐な花を咲かせてくれるが、今年は件のご近所さんから分けていただいた、綺麗なガクアジサイの挿し木も花をつけた。
まだ小さな鉢に植わってちんまりしているのに、胸を張っているようだ。
華やかな色味につい目を奪われる。
数日前、重い腰をあげて二階の部屋の天袋を片付けた。
姉宛ての手紙のなかに見慣れた筆跡、、、よく見れば、わたしの字だ。
正確には、「若い頃の」わたしの字だ。
お習字をやっていたおかげで、昔はなかなか綺麗な字を書いた。
今はさておき、だけれど。。。
わたしから姉へ宛てた数通の手紙。
最初はすべて手書きだったが、途中から宛名は手書き、中身はパソコンで作成したものに変わっていた。
コロンとした初代iMacをプレゼントして貰ったことを思い出す。
贈り主は誰だったかな、、、
そんなことを考えながら、手紙は手書きに限ると改めて思った。
心が乗っている。
その後、過去の自分に相対するのが不得意なわたしは、姉に断ることもなく、自分が書いた手紙だけすべて破り捨てた。
「わたし」が少し消え、ほんの少しホッとする。
姉に天袋の私物の存在を知らせると、塩をまいて捨ててくれと返事があった。
さすがにそれは出来ないから、夏休みに帰ってきたら自分で処分せよと返した。
帰国して暫くは、引き続き友人の仕事を手伝っていたが、友人の体調が思わしくなく、事業を終了することにした。その後、一年ほどぶらぶらしている。かつては「家事手伝い」なんて便利な呼称があったが、まあ、いわゆるそれである。
人生で手にしたいちばんの宝物と思っていた愛犬を亡くしてから、なんていうか、生きるための活力みたいなものが欠けてしまったのは事実。世界が一変。すっかり色褪せた。
彼が居た頃は、自分に何かあってはいけないと常に思っていたが、いまは生への執着もない。
死ぬ日まで人に迷惑をかけぬよう足腰元気でいたいとは思うが、長生きはしたくない。
家事手伝いの名札を下げて、鬱屈した感情を抱えて漫然と過ごしてきた。
でも、、そろそろドアを開けて外に出ないといけないかな。
以前のような忙しない日々に戻る頃だろうと思っている今日この頃である。
最後に今年初収穫のキュウリ。
とげとげ。
早速、水洗いしてかぶりついた。
キュウリの青い香りがふわっと鼻に抜けていく。
じきに夏がくる。