【映画】「ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方」を観た。

原題は「The biggest little farm」、2018年公開のアメリカ映画。

 

殺処分寸前の犬を保護した夫婦、ジョンとモリー

トッドと名付けられた青い目をもつ黒毛のわんこは、二人の姿が見えなくなると、延々、鳴き通し。ドッグトレーナーに指導を受けるなど、彼らなりに手を尽くしてはみたものの、トッドの鳴き癖は治らない。

ついに住んでいたアパートメントから退去命令を突き付けられ、二人は一念発起する。

寄付を募って資金を集め、東京ドーム17個分に相当する郊外の荒れ地を手に入れると、トッドを連れて移り住み、究極のオーガニック農場を作り始めた。

 

※以下、ネタバレにご注意ください。

 

予備知識もなく観始めたので、その映像の美しさに最初はモキュメンタリーだろうかと思ったのだが、ネイチャー系の映画や番組制作を手掛けるジョンと料理家のモリー、二人の八年間を追った正真正銘のドキュメンタリー映画だった。

たった八年であれだけの生態系の再生が可能なのかと驚いた。

あの殺伐とした荒野で微生物や虫、鳥、ほ乳類、緑、果樹などが連鎖的に営みを開始し、大地が息を吹き返す。

命が確実に次の命を育て、この星が疲弊しない完成した世界が形成される。

そこに過不足はない。

人にとって問題のように思えた事象も自然の循環を止めることはない。

忍耐と謙虚さをもって注視していれば、それが自ずと解決され、調和が保たれるということを知る。

 

他方、個人的にネガティブな感情を抱くシーンもあった。

名前をつけられ、半ばペットのように可愛がられる豚のエマの子供たちが「出荷」されたシーンでは、肉食をしないわたしの心は一気に沈んだ。

豚は犬のようだ。

活発で可愛らしく、兄弟たちと遊びまわりながら大きくなる。

本作でも可愛らしい子豚たちの様子を見ることが出来ただけに、彼らの命の結末には寂しさを覚えた。

柵に激突して瀕死の重傷を負ったコヨーテへの関わり方もそう。

鶏を襲うという理由で厄介者扱いのコヨーテ。しかし、ジョンは銃などを用いた安易な駆除には後ろ向き。彼らの生の目的を考え、共存を模索したい。

ある日、ガーディアンとして大型犬を連れてくると事態は好転。それどころか、鶏の囲いの中に入れなくなったコヨーテは、果樹の根を食い荒らしてこれまた厄介者扱いされていたハリネズミの狩りを始めるようになる。

ジョンの問いに対する答えのような、そして共存を強く意識するエピソードだったが、件の瀕死のコヨーテを前にジョンのとった行動が微妙。

楽にしてやろうと思ったのか、小銃を手にしたジョンの姿がちらりとカメラに映る。

このシーンはここで終わり。その後、どうなったのか本当のところは分からない。

ただ、わたしの中には、あの瀕死のコヨーテを小銃で撃ちぬいたのだろうかという疑問だけが残った。

薬剤を使って静かに眠るような最期を与えることはしなかったのだろうか。

最期にヒトを前にして逃げることも出来ず、見降ろされ、銃口を向けられ、極限にまで至った恐怖と共に押し付けられたかもしれない乱暴な幕切れに気持ちが暗くなった。

他には仲間外れにされた孤独な鶏グリーシーと豚のエマが「友情」を育むエピソード。

これ自体は種を超えた情愛を知る貴重なもの。

孤児になった子羊がどうにかこうにか頑張って、よそのお母さんのお乳にありついたシーンも非常に印象深い。拒絶する羊もいれば、受け入れる羊もいるのだ。

動物たちの懐の深さを改めて知ることが出来る。

しかし、ある日、悲劇が起きた。

大型犬の一頭が、グリーシーを噛み殺してしまったのだ。

血に染まる白い毛と無邪気な様子。

犬に悪気はない。

その昔、わたしの愛犬も庭の草陰にいたスズメの子供をおもちゃ扱いして死なせてしまったことがある。

ちいさなトカゲを前足で叩いて遊ぼうとしたことも。

彼に無用な殺生をさせないよう監視人になったわたしは、裸足のまま庭に飛び出したことが何度もあった。

綺麗ごとばかり見たいというわけではないけれど、人の心根にフィルタリングされたエピソードと単なる事実が混在した映像を見ていると、そこにアンバランスさを感じて消化不良を起こす。

そこがなんとなく苦手に感じた。

 

まあ、それはさておき、、

自然には驚異的な耐性がある。そして、この世に宿る命に役割がないということはなさそうだ。多様性には理由がある。おかげで、傷ついても星と日常は回復する。

 

余談だけれど、、、命の授業と嘯き、学校で子豚を飼育して屠畜場に送った挙句、その肉を食べるなんてサイコパスしか思いつかないようなことをやったり、ウサギを真夏の屋外に放置したり、もうじきたべられるぼくなんていう反吐が出そうな絵本を読んだりするぐらいなら、この映像をただ静かに観る方がいいと思った。