普段着感覚になった海洋散骨。

死んだらどうしてほしいか。

子どもの頃、死んだら遺灰を海に撒いてほしい!と言うと、法律で簡単には撒けないことになっていると返されたような気がする。

だからこれまで海への散骨を希望するのであれば、それが許された国にでも行かない限り無理なのだと思っていたけれど、どうやらそういうわけでもないらしい。

一般社団法人日本海洋散骨協会なる団体によると、1990年代に入り、葬送の自由をすすめる団体等の活動によって海洋散骨が実施されるようになり、管轄機関から合法のお墨付きも出ているようだ。

ネットでちょろっと調べると海洋散骨の業者が出てくるでてくる、、、

八人乗りフェリー貸し切り、羽田空港沖に撒くプランで十二万円程度。

地元の業者だと貸し切りは二十数万円になるが、それでも想像していたより遥かに安い。

さらに調べると、9800円から~という衝撃の価格まであった(!)。

「お金のかからないエコ葬儀」なんてコピーまでついている。

かつて海に遺灰を撒く行為は、「海に還る」というロマン溢れる思いによるものではなかっただろうか・・・。

変われば変わるものだ。

ま、お手頃な値段で利用できるようになったのは、願ってもないことだけれど。

うちはわたしの代で終わるため、最後に残った人が墓じまい...エトセトラ、なんて話が出たりする。

年齢順でいけば、わたしが最後のヒト。

順不同で消えることが許されるのであれば、わたしは海洋散骨をしてもらいたい。

最近は樹木葬なんていうのも流行っているようだが、あれは骨と葬られた場所が残る。

わたしは葬式も要らない。とにかく何も残したくない。身体の一部であれば尚更だ。

まあ、あくまでも願望だけれど。

実際のところ、死んだあとのことまでああして欲しい、こうして欲しいなんて言うのはおこがましいよね、とも思う。

死んだらなるようになると思って静かに死んでいるのがいいのかもしれない、とか。

とりあえず、年末年始に姉が帰省するので、海洋散骨のことを話してみよう。

 

さて、ごはんネタも載せてみる。

メインは、作り置きもないし、作る気もないときにぴったりなちょい揚げ。

微塵切りにしたタマネギ、竹輪、はんぺんに薄力粉、片栗粉(少なめ)、顆粒ダシ少々、水適量を加えて混ぜて、深型フライパンで揚げ焼きにするだけ。

最終的に油が余らないぐらいの量で揚げ焼きにする。

はんぺんと竹輪に味があるので、顆粒ダシは本当に気持ち程度で十分(入れなくてもいいかも)。

あとは具沢山お味噌汁、野菜とカニカマの甘酢和え、キュウリの糠漬けなど。

ごはんは、わたしは玄米。母は白米。

このちょい揚げをメインにすると手抜き感炸裂の食卓になってしまうのだけれど、高齢になり、柔らかいものを好むようになった母には好評。