命を預かる重さについて考え、来夏の大災難を憂う。

元日から辛いニュースが報じられ、翌日もまた耳を疑うような事故が起きた。

能登半島地震、ならびに羽田空港における航空機事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

また、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

いまだ安否の確認がとれない人々、さらに不明の動物たちもいるに違いない。

どうかひとつでも多くの命が救われますように。

 

羽田の航空機事故で忘れてならないのは、JAL機の貨物室に預けられていたペットも犠牲になったということ。

乗客乗員の安否もいまだ不明のなか、燃えさかるJAL機を映すNHKの映像をみながら、まさかペットが預けられているなんてことはないだろうなと気がかりではあった。

その後、その件に触れる報に接することもなかったので、勝手に胸をなでおろしていたが、、、

本当にやりきれない思いでいっぱい。

飛行機の映像が繰り返し流れるので、辛すぎてニュースを見ることもままならない。

私事だが、異国に居た折、帰国するかどうしようか迷った時期があった。

結局、帰ることはなかったのだが、わたしを踏みとどまらせた理由のひとつが、愛犬を飛行機に乗せたくなかったということ。

人の言葉を解さぬ彼に状況を説明することができない。

見知らぬ場所でわたしと離れ離れになった彼が、真っ暗な貨物室に入れられ、どれほどの恐怖と不安を感じながら時を過ごすのかと思うと、それだけで胸が張り裂けそうになった。

そのうえ、万一、事故でも起きたらと思うとぞっとする。

貨物室にいるこの子の命は後回しに違いない。

運よく機体が無事で、運よく、ああ生きていました、良かったですね、、、

何かあったとき、この子に与えられる状況はそういうものに違いない。

そんな悲惨なリスクを背負わせることは、結局、出来なかった。

愛犬を飛行機に乗せるということは、物言えぬ彼らに本当に本当に切なすぎるリスクを背負わせることである。

今回の事故の報に触れ、命を預かる重さについて、あらためて考えさせられた。

いまはただ、犠牲になった子達の魂が安らかであることを祈りたい。

もう二度と、このような世に生まれてくることのないように。

 

話は変わるが、新年から沈鬱な気持ちで過ごしているわたしに、帰省中の姉が、「2025年7月の予言を知っているか」と訊いてきた。

皆さんはご存じだろうか、たつき諒さんの「私が見た未来(完全版)」という漫画を。

わたしはきょう初めて知った。

この方、1999年に最後の単行本を出して漫画家を引退したのだけれど、ご自身が見た夢のハナシもネタになっているその本の表紙絵の締切日前日に、ある夢を見ている。

夢のなかで、大災害は2011年の3月という文字を見る。

たつきさんは、それをそのまま表紙絵の一部にそっと書き足した。

編集者には具体的な数字とネガティブな内容が嫌われたらしいが、結局、そのまま出版された。

その後、描いた本人ですら忘れてしまったというその表紙絵の予言のような一言は、東日本大震災が起こったずっと後になってからSNS等で話題になったらしい。わたしは知らなかったけれども。

そして、今回、あらためて復刻版を出す話になって、作者はまた夢を見る。

その夢が、件の2025年7月の大災難。

日本とフィリピンの間あたりで海が盛り上がり、南海トラフの想定どころではない大津波が日本を襲うらしい。

それは、日本の太平洋側の4分の1から3分の1ほどを覆いつくすほどの壮絶な規模だとか。

もはや、津波がくるから高いところに避難しようとか言っているレベルではない。

 

元日に能登地震、二日に羽田の事故、三日に福岡の火事、四日にJAL機のペットの犠牲を知り、さらに2025年7月の大災難を知った。

もう、言葉が見つからない。

最悪の気持ちできょうを終えることだけが、きょうの確かなことである。

 

繰り返しになるが、いまはとにかく、安否不明の命が救われることを祈る。

わたしは募金と祈ることしかできないけれど、祈りたい。

明日は我が身、それでも明日がほんの少しでも良い景色になっていることを祈る。