わたしの文字。

読売新聞に掲載された、小学生が撮った一枚の写真。

茜空を引き立たせる小さな黒い街並みと赤信号の丸い灯り。

スマホのカメラ機能とオンライン投稿のおかげだろう、子供でも手軽に日常を切り取ってシェアできる世の中になった。

過日、よみうり写真大賞に選ばれた一枚も小学生の作品。

海の中で撮ったのだろうかと思わせる、臨場感あふれる波と沈む夕日。

それぞれがとても印象的な写真で、そこに添えられたタイトルにも惹きつけられた。

茜空は「赤色の行列」、波と夕日は「おぼれる夕日」。

錆びついていない柔らかな感性。世の中の人間の子供たちの親は、日々、このような透き通った心に触れているのだろうかと思ったりした。

四本脚の子の清らかさも然ることながら、人の子の屈折の無さにも心が洗われる。

片や、滑りの悪い引き出しをいっぱい抱えた大人になってしまった自分に溜息。

わたしが学んできたわたしの文字は、何のためにあるのか。伝達手段に限ってしまっては勿体ないよね、きっと。

わたしももう一度、柔軟に周りを見たい。昨日と同じ場所でちいさく心を震わせる刹那に目をとめ、名前をつけられるようになりたいなーと思った。

 

さて、ごはんネタ。

母がタラを買ってきて、ささっと水炊きを作ってくれた。

具材は他に豆腐、白菜、平茸、ワカメ。熱々をハフハフしながらポン酢でいただく。

いいねぇ~、最高。

わたしは、ご近所さんからいただいたお野菜を使って、竹輪や油揚げと一緒にゴマ油で炒めたきんぴら風の副菜や、甘酢和えの箸休め、具沢山お味噌汁を用意した。天ぷらは母が作ってくれた残り物。

圧力鍋を使って手軽に作ったお鍋が美味しくて、「姉が帰省したら作ってやろうリスト」のアイテムが増えていく母である(´∀`)

 

最後は、わたしの「無題」な日常。

言葉足らずに優しい自然。